ヒーリング コスモス パロール TOP
  04/2006
  不思議な感覚は一日続いて  
PA さん
 
 まだ1日ですが変化を感じて、とても不思議な感覚です。
今まで当然にあった感情がなくなってしまった、そんな感じ。
意味のない怒りや虚栄心、といったマイナスの感情が主なので戻ってきてほしいわけではありませんが、それと同時に闘争心というか、そういった攻撃的な気持ちを生きるうえでのエネルギーにしていた感じがあったので、それがなくなって何となくぽっかりとした気持ちでもあります。
ほわ〜としてしまっている、というか。かといって“のほほん”という感じでもなく、、、うまく伝えられないのですが。

再体験する事で癒しがおこり、パスカルが感じていた感情が浄化されたので不必要な怒りや虚栄などがおこらなくなったのです。
それをエネルギーにしなくても今はPAさんには愛という素晴らしい力があります。
愛のエネルギーに満たされています。
                          れもん
昨日のセッションをまとめてみました。
まとめというよりも、覚えていることをすべて書いた感じですが。

目をつぶって楽にして光を感じ始めた。
光の傍には小さなパステルブルー色をした妖精が飛んで、光の中を覗いている。
私は最初光の中に入りたがらず、遠くから眺めているだけだった。
そのうち思い切って光のそばに行った。その先は光り輝く草原だった。
きれいな色の小花があちこち咲き乱れ、ふわ〜っとした光に包まれた場所だった。
私は気づいたら女の子としてそこに立っていた。
光り輝く長い金髪の少女。
農民のようなシンプルなドレスを着て、その美しい場所に立っている。
父親、兄、微笑んでいる母親、そして質素な石造りの家が浮かんだ。
質素な暮らしをしているが、少女は幸せだ。

しばらくして、光り輝く草原は普通の野原に変わり、目の前に大きな暗い森があった。
その前で立ちすくむ私。
私は馬車を護衛している男性のようだ。
名前はパスカル?
黒い帽子に黒いマントそして白い上下の衣服は、まるでベルばらの世界。馬に跨って馬車を斜め右に見ながら共に進んでいる。
道端には5,6才くらいの男の子二人がこちらを見上げている。誰だかわからない。今生ミャンマーで会った男の子みたいだった。
中には貴族の母娘。セッションでは王女と答えたのだが、なんとなく違う気がする。
その母は今生の姉。娘はわからない。
馬車と前進しながら、私は「退屈だ」と考えている。
何が退屈なのか、この仕事が退屈なのか、なんとなくもっと重要なポストにつくことを願っていたようだ。

年が変わって私の死期。
75歳だったか?
教会で比較的立派な棺におさめられている、ふさふさとした白髪で白い髭を生やした老人。
眉間にしわを寄せた顔。決して安らかな死顔ではない。
教会のベンチには、若く美しい娘と年老いた妻だけ。
娘は父の死に涙しているが、妻のほうには感情がないようだ。

少し戻って43歳の頃。
私はうずくまっている。この時の私はなぜだか自分が女性だと感じた。別人?
石でつくられた薄暗い部屋に、一人うつぶせに倒れている。
身体が動かないようだ。誰かに痛めつけられて。
部屋の外はとても明るい。ドアはなく、そこから光が差し込んでいる。
ドアの横には鉄柵の窓。
その窓の更に奥の部屋の隅に私はいるようだが、動かない。
部屋の奥の反対側には石臼のようなものがあった跡。昔 粉を挽いていた場所のようだ。

更に戻って20代。
私は大きな広場、お城の裏側の人目につかないところで王室の警備隊に見られながら、そのうちの一人から蹴る殴るの激しい暴力を受けている。暴力をふるっている人の顔を見ているのだが、その部分だけ暗くて見えない。
どうやら私は政治の転覆を狙う危険人物と思われていたようだ。
政治改革論議に熱心なあまり、王室か警備の反発を買ったのだ。
そこから先はわからない。
身体があちこち締め付けられるような感覚に覆われる。
苦しかった。
どうやらかなりの拷問を受けたようだ。

そこからまた老後に移る。
私は天井の高さまである本棚のある部屋で、多くの本に囲まれて座っている。
部屋はとても心地がよい。立派な暖炉に立派な机。でも、私の心は固く閉ざされている。
ドアの向こうにはホールがあり、その先には娘や妻、身の周りの世話をする女性(今生の妹)がいる気配はあるのだが、私は無関心。すべての感情を忘れたかのように、心は真っ暗闇。
瞬間、拳銃が脳裏にフラッシュした。ライフルのコレクションもあった。セッションでは話さなかったが。。。
今思うと、私は短銃自殺したのだろう。右目後ろ部分の偏頭痛が多かったのはそのせい?

パスカルは光のある方へ行きたがらなかった。執拗に私の身体を締め付けた。
先生の誘導で、パスカルが思い残していることが出てきた。
突然昔の会社の同僚が鮮明に現れた。私と政治談義を楽しんだ仲間だ。涙が溢れた。
横にはもう一人の元同僚。今生で二人とも今でも大切な存在だが、私自身どこか政治や国際的な話をする時に、見下しているようなところがあった。
パスカルの時も、どうやらパスカルは常に自分の意見が正しいと、信じて疑わなかったようだ。
対等に扱ってくれていた仲間を、自分は心の底では見下していた・・そんな申し訳ない気持ちが胸から湧き上がり、涙が止まらなかった。
もう一人、そばでにこにこして政治談義を聞いている子供がいた。今生の息子だ。
彼は今生でもにこにこしている。まったく同じような調子で私の話に耳を傾けてくれていた。

同僚が出てきてから、あれよあれよと今生の父や母、夫も出てきた。
でも、何となく母や夫のことは言わなかった。
父は神父の格好をしていた。自分にとってどんな存在だったのかはわからない。
パスカルは色々な人に愛されていたことに気づいたのか。
この段階で心はあふれんばかりの愛に充たされ、とめどなく涙が出ていた。
でも、まだ思い残していることがあって、パスカルは光のもとへ帰ろうとしない。
その瞬間、私の元上司の顔がはっきりと現れた。
私に何も聞かずに、とある4日間の講習会に行ってくれと懇願し、そこで私は親の無限の愛を感じて大きなエネルギーを得た。そんな出会いをさせてくれた上司だったのだが、もう15年は会っていないし、普段考えもしない存在だった。
なのに、彼の顔がどーんと現れたのだ。彼もパスカルの理解者だった。その彼にありがとうと言えなかったことが、パスカルには心残りだったのだ。
少しずつパスカルは光のもとへと、私の身体から離れていった。
光の使者に連れられながら、でもまだ後ろを振り向きつつ、、、私の方に未練があるかのように。。。
メッセージは「まわりをよくみて」だった。
もうひとつ続けて言った記憶があるのだが、今は思い出せない。
「皆あなたを愛している」だったか?

パスカルが光に帰った後も、しばらくは足首の部分が重かった。
まだ帰っていないのではないかと不安になった。
家に戻ったら、息子二人がいつも以上に「ママ」となついてきて、珍しくママを取りあった。
翌朝、身体がなんとなくだるかった。
何かが抜けてしまったかのようだ。
パスカルが抜けてしまった場所を、しっかり光で埋めなかったからか。。。
不思議な感覚は今日一日ずっと続いている。
今まで自分の中に常に怒りの爆弾を抱えている感じだったのが、爆発しないのだ。
爆発させるスイッチを自分の中に探すのだが、見つからないのだ。
今までの怒るきっかけとなっていたことは、相変わらず生活内に同じようにあるのに、、、。
怒ってみようかな、と思ったりするのだが、怒声を上げる気にならない。
家族はまだ半分私を恐れている。いつまた怒りが爆発するか、そんな感覚になれてしまっているから、今日一日怒りを爆発させなかっただけでは、それほど大きな変化はない。
でも、それでも変化は少しだが出ている。
次男のママに向ける笑顔が変わってきた気がする。夫は普段の会話だったら私がこう出てきている、というような流れが変わったと感じている。長男はまだママを試していて、これでもか、と今までの私だったら爆発していたことをやったりするのだが、私は怒りを感じない。自分でも不思議なくらい。
まるで別人だ。本当に「パスカル」が光に戻っていってくれたのか。

他にもここに至るまでに納得できる流れがあったので、なんとなくパスカルが出てきたのは腑に落ちるのだが、、、。
正直かなりショッキングなセッションだった。そして未だ不思議な体験だった、というのが正直な気持ち。
また自分の中で欲求が高まったらセッションを受けたい。その時は更なるステップアップでありたい、そう願っている。

心から受けてよかったと思っています。
ありがとうございました。


 実生活で気づいたことを少し書きたいと思い、再度メールしました。

長男には「あなたはどれだけ色々な人に大切に思われているか、わかっていない」という言葉をよく言っていたのです。
特に最近はかなり頻繁にそういって叱っていました。
まさに自分自身に向けていたメッセージだったのかな、と感じています。

ずっと知識武装して、他人よりも知的な存在として一目置かれたいという欲求があった気がします。
心のどこかではそれが何とも空虚な感じすら持っていたのに。小学生のころから、知名欲に対する憧れがとても強かったのです。
でも、次男が誕生してから少しずつ流れが変わっていきました。今まで司法試験にパスして弁護士として活躍するという夢があったのですが(30代で再挑戦するために当時住んでいたイギリスから戻って来たくらいの意気込みで)、子供が二人になり、少しずつ気持ちも変化してきて、それにちょうど終止符を打とうとしていたところでした。
弁護士になるのは自分にとっては単なる見栄でしかない、ということを心のどこかで薄々と感じていて、それをほぼ認められるようになったのです。
そんな時に「パスカル」が出てきたのは、決して偶然ではない、と信じています。

もうひとつ、とても不思議なことが起こりました。
単なる偶然かもしれませんが、、、
身体の一部がとても痒く、いつもひどく掻き毟っていたのですが、昨日からすっかり落ち着いてしまったのです。
私自身は薬がいきなり効いたのかな、と思ったりもしたのですが、ずっとつけてきても効いていなかったのに、、、
この変化には夫もすぐに気づきました。彼は「イライラしなくなったからじゃないか」と言っていますが。。。
パスカルの痛みだったのでしょうか。それともパスカルが持っていたイライラが解消された変化なのでしょうか。
思わぬところでも嬉しいことが起きたのは確かです。


 セッションは、またすぐ受けてみたいという欲求にかられます。
それほどヒーリング効果が高いです。でも、今回のセッションをきちんと生かしてから、また受けるのがいいのでしょうね。次回はいったいいつになるのだろうか、と楽しみにしながら毎日を笑顔で過ごしたいと思います。

パスカルは癒され、光へ帰っていきました。もう大丈夫でしょう。
お子さんの示す笑顔や、お母さんに対する様子がその答えです。
体験を通して体の細胞のもつ記憶を浄化しますので、長年悩んできた事に変化が出る事はよくあります。
よかったですね。
すべてが気づくために起こっているのです。素晴らしい事ですね。
                          れもん