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  09/2011
  「在る」  
  IH さん
  れもん先生との 5回目のセッション・・
いつものように先生が私の後ろから、ヒーリングエネルギーを入れて下さいました。
私は、目をつぶり・・

私の前に大きな焚き火がたかれ、細長い大きな黒い影が見えてきました。
影は岩山に映り 頭上高く伸びています。

「そこはどこ?」と聞かれ 私は、広い荒野の中にある大きな岩の前と答えた。
そして私は白いものを頭にまいて 焚き火の前に座っていた。
私は、ネイティブアメリカンだった。その時 35歳位だったろうか・・
場所は、アメリカのグランドキャニオン 写真でみた風景に良く似ていた。
満点の星空が広がり、広大な台地、大きな岩山がところどころに聳え、とても静かな夜で焚き火だけが赤々と燃え、後は黒い大きな影と、私・・
「あなただけ?」との問いかけに、そういえば目の端 斜め右の方に白い老人が立っているのと、集落の人の気配が感じられた。「あなたは誰?」と問われるが、名前が浮かんでこない。
ただ自分が探求者で いつも一人で荒野をめぐり、色々なところを歩きまわっていることはわかっていた。
「家族は?」・・ いるようだ。集落に。尊敬する父と美しい聡明な妹・・ 私はこの妹をとても大事に思っている。
「今 転生している人はいる?」多分尊敬する父は、現世の亡くなった父だと思う。妹は・・ わからない・・ 母はいない・・ ずっと前から。
私は二十歳の頃には家を出、ずっと荒野をめぐっている。
「何の為?」・・ わからない・・
何の為なのだろう・・? 何かを知るための様な気がする。

焚き火の向こうの大きな影がますます大きくなり、私を岩山に誘った。私はその影について行った。
すると岩山が大きく二つに裂け、影は更に私を中へ誘う。私の目の隅に先程の白い老人が見えた。あの人も私だ。
そう感じながら私は岩山の中を更に進んでいった。前方に光が・・ 壮大な光が見える
その光の中に私は入って行った。 後ろでは老人と集落の人が静かに見ている。
どうやら私は、何度もそこへ行き来しているらしい・・ 宇宙へとつながる光の中へ・・
私は、70歳のあの白い老人になっていた。そしてあの岩山に一人でいる。どうやら死期が近いのか・・
私=老人は死ぬのではなく、その岩山の中にスピリットとしてそのままとどまった。「守り神として?」・・ 違う、・・ 存在としてのスピリット。

ヒーリングの帰り道、あれはスピリットだと気づいた。守り神ではないけれど、それに近いのだろうか?
私のスピリットは、時々岩山を出て風になり広大な台地を吹きぬけ、草原にはえる草を風のふきそよぐ手でなで、樹をなで、動物たちの側をなぜるように吹き抜けていく・・
全てが愛おしい・・ そしてスピリットは私の魂に 心の内側に「在れ!在れ!在れ!在れ」と響くように語りかけていた。私の心、魂はそれに呼応し体の内側から外へ放射状に広がっていった・・ 私のスピリットの一部が今もあそこにある・・ そう感じる。

「それがあなたの本質なの・・・」と れもん先生に言われて、そうなのだとすぐに受け入れる事ができました。何故なら 私にとって「在る」ということは、そうありたいものであり、本質であり、揺ぎ無いものだから 私があのスピリットのようで在るとき、自然であり真に喜びを感じ、全てを慈しみ愛する事が出来るのだと。「在る」である私であるとき、私の喜びは波形のように広がり、それが時には他の人や物、動物、自然にも波形するのだと。
この経験は一種の悟りでもあり、私の本質に近づく旅の一部です。私は、人との会話、自分で発する言葉、本、色々な媒体の中に、自分への問いかけと答えを日々発見しています。
時には試されていると感じる事もあります。そして気分が沈む事も 落ち込む事も・・
ですが、この経験は私にとってどんなものにも代え難く、たとえようもないものです。
れもん先生のところでセッション毎に思い出していく旅の過程は、自分の在り方を思い出す旅であると気づかされました。

私だけでなく、これから、れもん先生のもとへ向かわれるであろう方々も、自分の旅を通して自分自身を発見し、目覚めていかれるのだと思います。そしてその目覚めによって周囲に何らかの影響を及ぼしていくのだろうと。
自分の真の本質を知り、自分自身が揺ぎ無いものとなれる事は、それだけで素晴らしい事だと。
私はそう在りたい。まだまだだけど・・
そして皆さんにもそうなってほしい。そう願っています。


以前からずっと樹のように大地に根をはり(しっかりと安定し、そこに来るものに暫しの憩いを与えてくれるから)、
鳥のように自由で(自然の掟以外 縛られるものがないから)、
海の様に凪いでいたいと思っていました。
いるだけでいいから。
私もそんな存在になりたいと。そして鳥であった時の 樹であった時の 海であった時の感覚も朧気に覚えている。

どこか冷静で客観的なくせに、人の事になると守らなければ、何かしなければという思いで心が疲れきってしまう・・
そんな感情に嫌気がさして、親しい者以外 関わるのは止めよう。
親しいものさえ切り捨てたくなる時があった
それも原因で病気になってしまった。

れもん先生の所に来て 別の世界、別の時代を見て漸くわかって来ました。
私は観察者であったり、民や国を守る武将や軍師であった事が多いのだと。
自分自身の事より 他を守る事が使命で、民が幸せであれば良い
ただ自分自身と家族、人間関係には無頓着だったと。

地球の外側から静観していたり、龍と同化して民が平和に暮らすのを見守ったり
れもん先生が、セッションの後で私に「もう守らなくていい」と言ってくれた時に、漸く肩の荷が降りた気がして身が軽かった。

平和と言えるこの国のこの時代に産まれ、私は自分自身と人間関係に今向きあっている。
おかげで今まで無頓着だった人間関係に翻弄されている。
「在る」に還っていく事で、私は本来の自分に還り 無理する事なく自然に手助け出来る。
何かある度に、本質に近づき脱皮していくのだ

今まで嬉しいとか、わくわくするとか そんな感情が乏しかった私は、今 その感情の素晴らしさを知りつつある

愛も、感謝も、共感も共有も。

全てに感謝したい
そして私は幸せです。

落ち込んでも、失敗しても何かある度に 発見があるから

そして目に見えない存在にずっと守られて来た事が実感出来た今、私は前程 怖くない

出会う人が私に何かを教えてくれる

そして出会う人が私をさりげなく助けてくれる

私もあるがままで お返ししていこう。